20世紀 あの日・あの時


 井の中の蛙大海を見る!   広っぱから ヨーロッパ へ・・・

 NTTを退社した当時、自立の道を進もうと機械設計製図を学んでいた。
明治学園からの呼びかけでヨーロッパの工業技術と建築技術を見に訳あって視察旅行に参加することになる。
当時、学生運動が盛んで日本赤軍が関係するテルアビブ空港乱射事件が発生していた。
大事をとって北回りのモスクワ経由フランクフルト空港便でヨーロッパに行くことになる。
ドイツはゾリンゲン、フランスはルノー公社、オランダはフィリップスと言うように各国それぞれ一企業を訪問する計画で、
ドイツ-オーストリヤ-スイス-フランス-オランダ-イタリヤと順次訪問する、もちろん観光地もばっちり回って・・・
フランスでは、エッフエル塔、凱旋門、ムーランルージュ赤い風車のフレンチカンカンも「ハーフボトル」で・・・  
日本人客が多かったので「日本の歌」のサービスもあり日本の大学生も沢山来ており研修と称して結構楽しんでいるようにも見えた。
スイスでは教授の教え子で留学中の大学生二人から最新技術の話を聞くことも出来た。
為替レートは¥330.-ぐらいだったかな・・・少ない小遣いで両替した小銭は、ドリンクとチップで消えていった。
ミネラルウオーターを飲むよりビールを飲む方が安かったような気がする・・・
今はユーロで助かっているが、入国する度に通貨が変わるので両替する度に貨幣価値が段々分らなくなっていた。
ベルリンの壁がまだあった時代・・・3kの仕事(きつい、きけん、きたない)の職場にはトルコ人が沢山働いていた。
イタリヤでは、ホテルのロビーに日本語で「万引きに注意・・・」と張り紙してあるのには驚いた。
トレビの泉にはコインを投げ入れて願い事もしたような気がする・・・
マイカーで私たちのバスの後ろを追いかけて廻るおじさんがいた・・・バスが停まると鞄からみやげ物を取り出して売りつける。
「3ヶ月月賦、これ安い!」を連発する・・・誰が教えたのか、ここでも日本人はいい客のようだった。
明治学園が日本からお土産として持参して行ったのが当時最先端技術と思われる圧電素子を使った卓上型の電子ガスライターだった様に思う。

 その後、中東戦争が引き金となったオイルショックの影響を受けて、自立の道を断念し再びサラリーマンの道を歩むこととなった。

 

 ライン川の流れに沿って移動していた時の写真

 

 

 羽田空港で      同行引率の明治大学教授ご夫婦と

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